第14回 グローバルブランディングの失敗例

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失敗例に学ぶブランディング戦略

これまで数々のブランディングの成功例を紹介してきましたが、全てのブランディングが成功裏に終わるとは限りません。ブランドの目指す地点が明確化され、それに向けた戦略的なブランディングが展開されていても、残念ながらそのブランドが市場に定着できず消えていくというケースは多くみられます。今回は失敗から学ぶ事例として、パイオニア社が2007年から2009年まで展開していた大画面薄型テレビ「KURO」のケースを取り上げてみます。

KUROブランド誕生の経緯

パイオニアは日本を代表するAV機器メーカーの一つです。70年以上にわたる歴史の中で、セパレートステレオ、レーザーディスク、カーナビ、DVDレコーダーなど数多くの製品を同業他社に先駆けて展開しており、その名の通り業界の先駆者(パイオニア)としての立場を確立しています。

そのパイオニアがテレビ事業に参入したのは1990年代半ばのことでした。1995年、世界初の40型プラズマディスプレイのプロトタイプの発表後、長野オリンピックを翌年に控えた1997年には、民生用としては世界初となる50型ハイビジョンプラズマディスプレイを市場投入。当時は技術的難易度から競合も少なく、パイオニアは松下電器産業(現在のパナソニック)や日立製作所と肩を並べるテレビ業界の中心的存在でした。

しかし、2000年代半ばに差し掛かると、プラズマディスプレイの競合技術である液晶の大画面化が進み、また低価格を武器とした韓国メーカーの攻勢も加速してきたことで、大画面薄型テレビ市場におけるパイオニアのシェアは徐々に低下していきました。世界的な薄型テレビ市場の成長に伴い、パイオニアも価格競争への追従を余儀なくされ、大きな赤字を生む結果に。当時1兆円企業を目指していた同社の成長戦略において、プラズマディスプレイ事業の収益改善は最大の経営課題となったのです。

当時の同社内では、以前ここでも取り上げたBMWの事例がグローバル戦略のモデルケースとして共有されていました。自動車業界におけるBMWの世界シェアはわずか数%ですが、高い技術力、高級セグメントに絞ったラインナップ、卓越したマーケティング活動などにより、全世界で統一的なブランドポジショニングと安定的な収益を挙げ続けています。これを受けてパイオニアも、高い技術力で強力に商品を差別化することを目標としました。グローバルマーケティングによって商品価値を高め、競合他社との価格差を正当化しようとしたのです。こうした背景のもと、同社が社運を懸けて全世界に送り込んだのが、第8世代となる大画面プラズマテレビ「KURO」でした。

 

KUROが描いたグローバル戦略

2007年当時の薄型テレビ市場は、生産量拡大による低価格化競争が主流でしたが、KUROブランドは敢えてその逆を行き、競合と一線を画すプレミアム価格の実現にこだわりました。また、当時の日本のテレビ事業としては珍しく、グローバルブランドの浸透を追求し、世界的に統一されたマーケティング活動の実施に踏み切りました。

「KURO」というネーミングについて、国内営業部門からは犬猫を連想させてプレミアム商品に相応しくないとの大反対がありましたが、日本語の「黒」を由来とするブランドストーリーの語りやすさや、文字や発音のシンプルさなどから欧米では受けると判断され、トップの鶴の一声で採用されました。結果的には、日本国内においても「KURO」という名前は好意的に受け入れられ、ネット上の価格比較サイトを中心に消費者間のコミュニケーションも活性化しました。

グローバルキャンペーンを行う上では、全世界でのビジュアル表現の統一や、各国の事情に合わせた広告のローカリゼーション、広告媒体の選択など多くの課題がありました。パイオニアはそれらの壁の高さにも挫けず、新たなビジュアル・アイデンティティの開発、メディアへの積極的なアプローチを中心とするPR活動、店頭での販促活動、ITインフラの整備やナレッジの共有化などを精力的に行いました。その結果、展開初期においては同社のグローバルブランディング活動は奏功し、KUROブランドは欧州を中心に世界中で高い評価を受けることになりました。

市場環境の激変による事業失敗

最初は順調に見えたKUROブランドですが、2007年後半に入ると市場環境が激変します。それまでプラズマ中心だった大型テレビ市場に、技術革新による高画質化と低価格化を遂げた液晶が本格的に参入してきたのです。競争の激化により、価格下落率は年間20%を超え、市場規模の拡大に伴って購入者層が富裕層やマニア層から一般層に広がりました。これにより、プレミアム価格を維持して一定数量を安定的に販売するというKUROのマーケティング戦略は崩れることになります。結果としてKUROは目標販売台数を達成できず、またパイオニアの損益の改善にも繋がりませんでした。同社は2008年5月にはプラズマパネルの自社生産撤退、そして2009年2月にはテレビ事業からの撤退を発表。皮肉にも撤退報道を受けて購入希望者が大幅に増加し、予定よりも2ヶ月早い完売という現象をもって、10年以上に及んだ同社のプラズマディスプレイ事業は幕を閉じたのでした。

グローバルブランディングが失敗した理由とは?

業界最高レベルの品質を誇っていたKUROブランドは、なぜ市場に定着できなかったのでしょうか。外部環境の要因としては、液晶テレビの大画面化を含む市場競争が激化したことに加え、テレビ放送のデジタル化やブルーレイディスクの登場などソース映像の画質向上により、製品間の性能差が消費者にわかりづらくなったことが挙げられます。KUROブランドが掲げた「高品質によるプレミアム価格の維持」という方針は、こうした市場の動きを掴みきれていなかったのだといえます。

また、内部戦略的な要因としては、計画台数の読み違いによる予定原価と現実の乖離も挙げられます。KUROブランドの展開は社運を賭けたプロジェクトであり、黒字化を悲願としていた事業部門は計画台数を大きく見積もりすぎてしまったのです。その計画台数と現実の消費者の購買反応との間に大きなギャップが生じ、それが損益のマイナスを生んでしまったのでした。

KUROブランドの失敗事例は、高級ブランドの投入について貴重な教訓をもたらしてくれます。当時の大型テレビ市場のように、市場構造が劇的な変化を迎えているタイミングにあっては、高級ブランドを新たに投入し発展させることは多大な困難を伴います。ブランドの目指すゴールが明確であっても、それが市場のニーズと上手くマッチできなければ、いかなるブランディング戦略も徒労に終わってしまうのです。