第15回 熱海の例に見る地域ブランディング

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地域ブランディング

あらゆる商業活動がブランド価値と共に語られるようになった現在、一般企業のみならず、教育機関や個人、自治体など様々な主体がブランディングに取り組むようになっています。地方の活性化を目指した地域ブランディングもその一つです。企業がブランド力を武器に市場競争を繰り広げているのと同じく、各自治体も地域の命運をかけてブランディングに注力しているのです。

今回は熱海市の事例を取り上げ、地域ブランディングが志向される背景やその実態を見てみましょう。

熱海の地域ブランドとその衰退

伊豆半島の入り口に位置する静岡県熱海市は、気候、景観、味覚に恵まれた、日本を代表する温泉地の一つです。その静養地としての歴史は江戸時代初期にまで遡ります。徳川家康が熱海の温泉を気に入って幕府直轄領としたことで、土地の治安や風紀が守られ、諸大名が次々と湯治に訪れました。明治時代には後の大正天皇のために御用邸が建てられ、桂太郎、犬養毅といった時の要人や、谷崎潤一郎、永井荷風らの文豪も競って別荘を構えました。

昭和に入ると、鉄道の乗り入れに伴って一般観光客が増加。高度経済成長や東京オリンピックの開催が追い風となり、熱海は観光都市として発展しました。地域ブランドという考え方はまだない時代でしたが、皇族や知識階級と縁深い土地であるという認識は一般にあり、情緒的ベネフィットや自己表現ベネフィットを充足できるブランド力を確立していたのだといえます。この地は新婚旅行のメッカとなるとともに、職場や自治体の団体旅行の行き先としてもメジャーになり、賑やかな観光地として隆盛を極めていました。

そんな熱海の人気に陰りが差し始めたのは1970年代に入ってのことです。宿泊客数は1969年の約530万人をピークに減り始め、1986年以降は箱根にトップの座を譲ってしまいました。バブル崩壊後は団体旅行が減り、閉館に追い込まれる旅館も出たことで、温泉街には寂れた印象が漂い始め、二代目・三代目が旅館業を継がずに廃業するケースも跡を絶ちませんでした。2008年には宿泊客数は約290万人にまで落ち込み、人口減少、地域経済の衰退といった危機にも直面してしまったのです。

熱海ブランド凋落の要因とは?

熱海が衰退してしまった理由には、団体・職場型から個人・小グループ型への旅行形態の変化に柔軟に対応できなかったことや、日本有数の温泉観光地の地位を保持していたがゆえの危機意識の低さなどが挙げられます。しかし、地域ブランディングという観点から見ると、ブランドアイデンティティを強固に確立できていなかったことが凋落の最大の要因と言えるでしょう。

熱海には、美しい自然の景観、温泉、芸妓文化、上流階級や文豪の街というイメージなど、多くの観光資源となりうる要素があります。しかし、このことが逆に、熱海という土地全体としてのアイデンティティの欠如に繋がっているのです。世代によるイメージの差異も大きく、40〜50代以上の人にとっては歓楽街、平成世代にとっては海が綺麗な近場の温泉地と、想起するアイデンティティに大きな開きがあります。

これまでの記事でも見てきたように、ブランドのアイデンティティは強固で一貫したものでなければなりません。そうしたアイデンティティを打ち出すことができていなかったのが、今までの熱海の欠陥点だったのです。

ブランド再建に立ち上がった人々

熱海をこのままにはしておけないとの思いから、地域ブランドの再建のために立ち上がる人々が行政と住民の双方に現れました。

行政側では、2006年の市長選で、「効率的で開かれた市役所づくり」「歩いて楽しい観光地づくり」「住みたくなるまちづくり」の3つを基本政策に掲げた齊藤栄氏が初当選。住民の期待を背負った若き新市長は、市議会や経済団体からの反発もありながら、「長期滞在型の世界の保養地」をコアコンセプトに据えた「観光戦略会議」を立ち上げ、熱海の再ブランディングに乗り出しました。

市長が主導する試みの中で大きな役割を果たしたのが、市来広一郎氏が代表を務めるNPO団体「atamista(アタミスタ)」でした。熱海出身の市来氏は、元は東京でビジネスコンサルタントをしていましたが、熱海の窮状をなんとかしたいとの思いから2007年にUターンし、atamistaを立ち上げたのです。

2009年から、行政と市の観光協会、atamistaが共同となって、体験交流型プログラム「熱海温泉玉手箱(通称オンたま)」を実施。観光客や住民に熱海の良さを再発見してもらうためのの交流活動を精力的に展開しています。当初は世代間ギャップなどから活動内容への理解が得られないこともありましたが、地道な活動を続ける中で商店街や住民の意識を感化することに成功し、14名からスタートしたプログラム提供者も3年間で累計64名まで増加。この試みは2015年現在も続いています。

熱海ブランドの現状と展望

齊藤市長は住民の強い支持を受けて現職3期目。市来氏のatamistaも今なお活動を続けています。熱海の地域ブランド再生活動は未だ道半ばといったところですが、成果は堅実に現れているといえます。

市来氏によれば、リーマンショックや東日本大震災をきっかけにUターンやIターンしてくる人が増え、新しいタイプの飲食店や様々なNPO団体が誕生して、全体的に街の雰囲気が前向きになってきた印象があるとのことです。市来氏の抱く目標は、2020年頃までに中心部の活性化を成し遂げ、2030年までには熱海を自立的に持続可能な街にして、atamistaの活動を完了・解散させること。熱海の再生を課題先進地域の成功事例として発信していきたいと市来氏は意気込んでいます。

地域活性化においては「ヨソ者・バカ者・若者」の存在がカギを握るとよく言われます。熱海の事例ではこの三者が別々に存在するのではなく、三つの要素を併せ持つ、市来氏のようなUターン組の存在がブランド再生に大きく貢献しています。一度地域の外に出たUターン組だからこそ、地域の良さや欠点を客観視することができ、欠如していたブランドアイデンティティの向上に乗り出すことができたのでした。また、熱海に憧れて移住してきたIターン組という新しい存在が入ることで、旧来の住民が気付かなかったブランド価値を再認識するきっかけにもなっています。熱海がこれからの5年、10年でどこまでブランド力を復活させることができるのか、今後も注目してゆきたい事例です。